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解説と推薦

解説と推薦

コミュニケーションとしての一般批評

theater7
最近、とある映画を観た。外国人が作った、ある日本人芸術家夫妻を追った、ドキュメンタリーだ。お客さんは、20代と見受けられる男女の若者が多く、友達同士で観に来ているお客さんも多かった。「へー、若い世代もこういったドキュメンタリーに観に来るんだな」なんて30代半ばの私は思った。本編が始まると、思わぬ場面で笑う若者たち。私はというと、ただただ食い入るように画面を見ている。90分ぐらいの作品の間、何回もそういったことがあった。そんな私が、映画館を出た瞬間に思うこと。ああ、こんなときこそ、一般批評学会だ。 一般批評学会とは、(当然映画に限らずではあるが)あることに対して「自分はどう感じたのか?」を伝えることができ、また、他の誰かの考えも聞きくことができる。「お互いの考えを、わかりやすく共有する」ために一般批評学会は存在している、と私は思う。 「わかりやすく共有」するために、『メソッド』と呼ばれる遊びというか、ルール? ツール? ゲーム? がある。「批判や否定」ではなく、相手の意見を尊重し、共有する。言葉にすると堅苦しいけど、それをさらっと楽しんでやってしまう。一般批評学会とは、そんな会ではないでしょうか。 是非機会があれば、一度体験してみてほしいです。
淀川文化創造館シアターセブン スタッフF

おけらメソッドは合コンツールの革命的発明

gyasha
「で?」と聞き返されると、言葉に詰まる。そんな経験をずっとしてきたし、今でもそうだ。 映画・音楽・演劇・イベント、対象はどんなものでも良いんだけど、自分のとっ散らかった興味が引っかかるコトと向き合って、ボコボコと生まれる感覚に言葉マシマシトッピングしていくと、言葉と思いが遠ざかっていく時があって。そんな時の「で?」の一言に、いつもヒヤッとしてアップアップする。 一般批評学会という場は、私たちの直感を単純な言葉で剥き出しにする。言葉を気楽にすくい取って、みんなで投げ合って、興奮して、頭の中を除き見し合う。そんな一般批評学会といくつものメソッドは、楽しい興奮もあるし、頭の中を覗き込まれるような恥ずかしさもありながら、「で?」の先を見つける遊戯だ。 「おけらメソッド」は合コンツールの革命的発明、だと思ってるんですよ。いつか合コンでおけらメソッドを使って、女の子からの「で?」に鮮やかな一言を返したいと思い描いています。
ぎゃしゃ(@gyasya)

俺が言うんじゃねえ。酒が言うんだ!

mastumoto
なんか感想を言うってことになったら『説得力のある正しい』とか『違いを見せる斬新な』とか『誰もが共感できる』とか、そんなのをしがちなワケです。別にしてもいいし、した方がいいのかもしらんけれども、「いや別にそんなんなくても」っていうのが一般批評学会ですよね。『誰が』『どんな』解釈をしたっていいじゃないか!という、この『誰が』っていうのがメソッドシステムの肝ですよ。みなさん気づいてましたか?僕はホント最近までわかってなかった。感想が「自分の感性」から出たモノでなくてもいい!ってコレは思い切ってますよね。昔、森の石松が「俺が言うんじゃねえ。酒が言うんだ」って言ってたけども、この酒がメソッドですよね。私だけど私じゃないみたいな、感想の二人羽織状態。『黙阿弥メソッド』とかはロールプレイでディスカッションするから、二人羽織の剣術試合みたいな感じですかね。それは多分、試合に見えないでしょうけどね。ところでね、改行もなく書きますが、僕は『これからの「予想」の話をしよう』のメンバーだったりするので、一般批評学会のこれからを予想して、将来待ち受ける『大喜利の罠』と『世間話の罠』についての予想を書いてたんですが、ものすごく長くなるので(ホントは2~300字でという注文だった)、やめてメソッドの新しさだけ書きました。作品と批評、大喜利と世間話、コミュイベントとパーティみたいなのを取り上げて、全聾の天才作曲家の代わりに全盲の映画鑑賞者が現れてカオス!みたいな話ですけどね。なんのことかわかりませんわね。無意味さに耐えられなくなったら、顔に酢を塗ってパックをすればいいと誰かが言ってました。戎さんの帰りにエビに酢をつけて食べるみたいなもんですかね。
予想の会 松本 渉

尊重しつつ、ポップに批評する試み

takakahn
僕は、中学2年生のときにメディアから流れてきた曲を、たった15秒くらいだったけれど、すごく衝撃を受けて「なんやこれは!?」と得体も知れない感覚が前進を襲った。中学2年のころから作品だったり日常の出来事だったりを自分の言語だけで少しずつ捉えていた。一般批評学会は、そんなイメージをゆるやかに世間に開いてもいいんだって思える装置なんだと思う。 そう、それぞれが、作品と呼ばれるものや日常的なことを観たときに素直に感じたことを引き出す方法(一般批評学会では’メソッド’と呼ばれている)を使って、ある種作品や日常そのものから飛躍したり出来るんだ。(もちろん飛躍しなくてもいい)改めて批評した結果を自ら省みると「自分ってこう捉えてたんだなあ」と。 なんていうか、今までだったら批評や評価するときって、論理性だったり使い古された専門用語を使って一見堅苦しい言葉で語るっていう雰囲気を感じていて、それはそれでよくって。だけど、感じたままに、浮かんだ言葉で語ったっていいんだと。しかも、それを面白く、ポップにしちゃった一般批評学会の取り組みはすごいと思う。作品や作品に触れる行為を尊重したままに。 これが、’イリュージョン’ってやつなのかなあ。
無職・イン・レジデンス / 安治川FLOAT運営メンバー タカハシ ‘タカカーン’ セイジ